大槌復興刺し子プロジェクト > スタッフブログ > 大槌レポート 第7弾 「大槌町の震災の記憶をめぐる」

もうすぐ東日本大震災から、丸5年です。
大槌町は東日本大震災により、人的被害1284名、建物の倒壊率は約65%と、特に大きな被害を受けた町。
町民の約30%が、今なお仮設暮らしであり、まだまだハード面の復興も道半ばです。
大槌町を訪れる人は「大槌の今」を見て、「こんなにもまだ復興は進んでいないのか」と驚く人も多くいます。
それでも、少しづつ町の様子は変わってきています。
今回は、そんな大槌にまだ残る震災の記憶を紹介したいと思います。

①旧役場
大槌町の震災の記憶であり、被災地としての象徴でもあります。
ここでは、地震発生直後に約60人の職員が避難せずに、災害対策本部を設置する準備をしていました。
津波接近の報を受けて、急きょ屋上に避難したものの、旧町長を含む33人が死亡、行方不明となりました。
これによって、町の指揮を執る人が不在となり、大きな混乱が起こったことで、大槌町の名前が全国に知られました。
今年度この建物を取り壊すか、残すか、町が大きく揺れた場所でもあります。

②城山体育館からの眺め
震災前、ここから見下ろした一面は住宅地が広がり、大槌の中心市街地でした。
今は跡形もありませんが、少しづつ土盛りがすすみ、道路が出来上がってきました。
これからの復興計画の中心になる場所です。

③吉里吉里の沿岸道路
大槌の中の吉里吉里という地域もまた、住宅地を飲み込まれる大きな被害を受けました。
吉里吉里には宮古市から続く道が、海沿いに続いていました。
主要道路が沿岸部に広がっていたことも、震災の被害を大きくした一因でした。

④仮設店舗「きらり商店街」
町の商店街が被災を受けたため、元大槌北小学校が取り壊され、2011年12月に建てられました。
およそ40店舗が入っていて、大槌にある6つの仮設商店街では最大の商店街です。
その中の「七福」焼き鳥屋は、元刺し子さんが、震災で亡くなった店主だった妹にかわりに再建したお店です。
妹を亡くしたショックで大きく肩をおろしていた時、刺し子との出会い、お店の再建の資金集めのために、一生懸命刺し子を刺したそう。
そして、刺し子で貯めた軍資金で、お店を再建。
私たち、大槌刺し子の活動にとっても嬉しいニュースでした。
焼き鳥は絶品で、特に軟骨がおすすめ!驚くほどジューシーなんです。

震災から6年目を迎える大槌。
来年の今頃は、どんな町になっているのでしょうか。

これからも少しづつ変わっていく町の様子をお届けしていきます!

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